OB会の皆様、
秋も深まり朝夕はめっきり冷え込む様になりました。皆様コロナ禍ではございますがいかがお過ごしでしょうか。
さて、今秋の都新人戦ですが、全試合無観客での開催となり、OBも応援にいくことができず大変残念な状況です。
ハンド部HPにも試合中の写真アップもできず、皆さんに現役生の活躍をお伝えできないことを心苦しく思います。
しかしながらそのような環境の中、現役諸君は大変な頑張りをみせ、昨日筑波大駒場を破りベスト4に進出することができました。
去年からのレギュラーが多く、チームとしても名実ともにワンチームが出来上がってきているのかと大変喜ばしく思います。
詳細は、東京都高体連ハンドボールのHP ( www.tokyohandball.com/ )よりご確認ください。
なお、ベスト4後は4校による総当りリーグ戦となります。
次の試合は、11月21日16:00からとなります。
生徒がインスタグラムでライブ配信を予定してくれていますので是非ネット観戦をお願いします。
URL: instagram.com/handball_w_k?r=nametag
(インスタグラムへの登録が必要です)
また、11月23日の競技は2試合目より、「東京動画」(東京都公式動画チャンネル)でも配信する予定とのことです。
URL: tokyodouga.jp/
是非ご自宅にてご声援をお願いいたします。
ご連絡ありがとうございました。
同期の新井です。
ベスト4とはスゴイじゃないですか。
そのくらいに行くと選手はもちろんのこと、
見たり聞いたりしている外野も盛り上がりますよね。
しかも、まだ上に行く可能性があるなんて……。
私が祈っていても何の効果もないと思いますが、
陰ながら応援しております。
もう少し状況が良くなって、みんなで騒げる日を楽しみにしてます。
それが優勝祝賀会ならサイコーですけど。
お仕事の合間にいろいろとご苦労も多いかと思いますが、
ハンドボール部の繁栄のため、これからもご尽力ください。
ではでは。
新井一樹
S63年3月卒田中俊之です。この度は大変うれしいニュースの配信誠に有難うございます。
また、数十年ぶりのベスト4進出ということで、OBの一人として大変誇らしく感じます。私達の2年生当時、鵜殿さん達3年生のチームのインハイ予選のベスト4をかけた戦いの悔しい思いが蘇ってきましたね、34年ぶりに!
北島先生が勇退されて体制が変わった後ですが、ますます学院ハンドボール部の前途洋洋ということですね。
取り急ぎ御礼まで。
*連絡、大変ありがとうございました。大変立派な成績、感心しております。
来年が楽しみです。
*小生の入部当初はまだ11人制全盛時代で、卒業年度の秋に7人制が開催され、
翌年から、7人制が正式採用された時代です。大変懐かしいです。
昭和37年3月卒、大橋淳男
48年卒の稲垣です。
鵜殿 豪様、グッドでビッグなニュースをお知らせ頂き、
大変有難うございます。
現役の皆さんも、よく頑張ってくれて嬉しいです。
ガッツ120%で、皆で悔いのない戦いをお願い致します。
心から応援をしますとともに、朗報をお待ちしています!
稲垣広司(昭和48年卒)
48年卒の小西です。稲垣元気⁉️
今、エクシブ有馬離宮のバーで47年卒の伊藤キャプテンと49年卒の山内キャプテンの3人で飲んでます。
現役の大活躍を肴にお陰で美味しい酒になりました。さあ優勝に向けて完敗!あっ間違えた乾杯でした。酒が入っているのでごめんなさい
大橋先輩の3年後輩の山本です。
ベスト4進出の快挙に心から祝意と敬意を表します。
僅差の試合も凌いでの5連勝は、日頃の鍛錬とチーム一丸、そしてOBの皆さんのご指導の成果と思います。
総当たりの決勝戦は強豪に怯むことなく、地力を発揮して臨まれることを期待します。結果は問いません。
仲間と共演する感動の物語りを体験されればそれで十分ではないでしょうか。
山 本 祐 一
S50年卒(猪飼前OB会長の同期)の小松原です。
ビッグニュースをありがとうございます。
こんな環境でなければ会場で応援したいところですが、動画配信で自宅から大声援を送ります。
私の記憶が正しければ、S48年(1973)卒の小西キャプテンの代以来ではないかと思います。
都大会で優勝しインターハイに出場したチームで、およそ半世紀ぶりの快挙です。
悔いのない戦いをして、その快挙に続いてくれると明るい話題でさらに盛り上がりますね。
小松原 徹(S50(1975)年卒)
49年卒の山内です。
小松原さん、大事なこと忘れてますよ。
我々の代と猪飼キャプテン率いるあなた達の代との合同チームでインター杯東京予選の決勝まで行きましたよね?
残念ながら都立国立高校に敗れて準優勝でインター杯行きは逃しましたが。
この年は中大附属が全国大会前年度優勝校で予選免除だったので実質的には3位ということになりますね。
どちらにせよ久し振りなことに間違いありません。
小西先輩と共に遠く大阪の地から応援しています♪
山内俊隆
S50年卒の猪飼です。
山内さんに先を越されてしまいましたが、私の記憶で補足させていただきます。
S49卒の山内さんの代の時、ベスト4になり、中大附、都国立、都羽田工業との4校リーグで3位になりました。
前年、中大附はインターハイ優勝していたので、推薦出場が決まっており、残り3校のうち上位になれば、インターハイ連続出場でした。結果は、羽田工業には勝ったものの、事実上の決勝戦の国立に7-5で破れ、出場を逸しました。国立戦はキャプテンの山内さんが前の試合、羽田工業戦で肘を負傷し、ボールが投げられない状況でした。それまでチーム得点の半分は得点していた山内さんがシュートを打てないにもかかわらず、2点の僅差で負けた試合の悔しい思いは今でもよみがえってきます。
ということで、このあとベスト4がなければ、S49年以来になると思います。
現役の皆さんは、ここまで接戦を勝ち抜いてきて、本当に立派です。4校リーグも最後まで諦めず、悔いのない試合をしてもらいたいと思います。きっと来年につながるでしょう。
山内さま
鵜殿会長
スミマセン、文章が下手で誤解を招いてしまいました。
文章を書いているうちに”優勝”と”ベスト4”が混在してしまいました。
優勝すれば48年卒のチーム以来と書きたかったのですが申し訳ありません。
小松原
OBの皆様
当方投稿の新人戦報告に対して現役生への祝福、激励、(一部よっぱらいメール(笑)含む)のメールをお寄せいただきありがとうございます。
OBだけでやりとりするにはもったいなく、現役生にも見てほしいという思いから、勝手ながらHPへの投稿という形式に切り替えさせていただきました。
この続きの会話は是非この場を使っていただきたいと思います。
今のところ超OBの皆さんからの投稿が多く、若手、中堅OBからのコメントが少ない状況です。是非コメントお寄せください。
追伸:過去のベスト4歴ですが、わたしの2つ上(1985卒)の皆さんが新人戦でベスト4まで行ったと記憶しています。当時の方昔話を聞かせてください。
鵜殿さんに振られたので恥ずかしながら。組み合わせの妙で、新人戦でベスト4に行ってしまった85年卒の赤林です。
準決勝から体育館での試合になり、藤村女子高の体育館で試合できたのが嬉しかった(早慶戦以外で唯一の体育館の試合でした)のですが、その後優勝した日体荏原にボコボコにされ、これは同じ高校生が同じ競技をしているのかと思うほど強かった相手を鮮明に覚えています。
あとは、同期の坂部のほうが僕より色々覚えているようなので、坂部のコメント待ってます。
そんな偶然のベスト4ですが、この年になって振り返ると、青春時代のささやかな自慢です。
週末のインスタライブ、楽しんで応援したいと思います。
85年卒の坂部です。このたびはベスト4進出おめでとうございます。谷内口先生のもと、新境地を切り拓かれんことをお祈りしております。
赤林が書いているとおり、われわれの代は新人戦でベスト4まで行きましたが、どうやら学院ハンド部の歴史の闇に紛れ込んでいるようで、本当はそっとしておいたほうがよいのかもしれません。
ベスト4まで行けたのは、組み合わせの妙はあったでしょう。しかし、あえて書かせていただくと、萩原先生・北島先生をはじめ、インハイ予選まで一緒に汗を流した1つ上の代の先輩、また、夏合宿等々でご指導いただいたOB諸先輩方のご指導の賜物でもあったと思います。言うことを聞かないとホウキの柄で叩くH先生とか、シュートを外すと「ピョン!」(ウサギ跳び)と叫ぶK先生とか、先生の代わりにイジリにくるF先輩(現OB会副会長)とか、低くよく通る声で圧力をかけてくる1つ上の代のキャプテン(現OB会副会長)のH先輩とか、スポーツ科学が発達しハラスメント概念が定着した現代では考えられないご指導があってこそのベスト4だったわけです。
もう1つ、わが代でキャプテンを務めた久保(唯一のハンド経験者、ほぼ元ヤン)と、暇をもてあましているのを見かねて北島先生が連れてきた小林(大学では本チャンへ)という大型選手がいなければ、やはり勝つのは難しかったと思います。真面目な話、この2人がいて、サイドやポストで引っ掻き回す赤林や私、松岡、千田、唯一サウスポーの半田などが活きてきたのはいうまでもありません。
ベスト4を懸けた試合の相手は都江戸川で、後に小林の同僚となる村崎や、大学のハンドサークル(ミュンヘン)で私の後輩になる押野などがいて、そういう意味ではそれなりのメンバーは揃っていたのですが、縁も生まれた試合でした。
当時はすべてトーナメント戦で、日体荏原と明星といういつもの決勝で幕を閉じました。それに先立つ準決勝の試合前の休憩中、都江戸川に勝って気をよくしていた(決勝進出はほとんど諦めていた)われわれの対面から、対戦相手の日体荏原の選手が歩いてきました。擦れ違う際に少し会話を交わした記憶がありますが、最後に赤林が「俺らぜってぇ勝つからよォ」。一同、恥ずかしさを通り越して呆れましたが、いま思えば、実に赤林らしい一言でありました。そして、そのときの相手の冷笑。忘れようにも忘れられません。呆気なく負けたんですけどね。
長々と書いてしまいました。文中に誤謬があればすべて筆者の責に帰すものであり、ご叱正を賜りたく存じます。
いずれにしましても、人生のよい経験になることは間違いないでしょう。頑張れ、学院!
赤林です。僕、そんな恥ずかしいこと言った?全く覚えていません。実力差は天と地ほどありましたが、気持ちの面では対等だったと許してください。
I know you’re right.